くる病が流行していた時代はどんな環境だったのか
「母乳育児の普及にともなって、くる病が増えている」と言われています。
とはいえ、今、私たちの身近に、くる病患者があふれているような様子は…ないですよね。
くる病研究の論文を100本くらいチェックしてみると、「くる病はどんな環境で増えやすいか」が、分かってきました。
今回は、「くる病が珍しくなかった時代」の話。
1900年代前半
世界各国で、くる病が流行していた。
論文によって数値は変わるが、罹患率は10〜50%以上と、とても高い。
たとえば、アメリカでは、1940年代後半くらいまで、くる病は「幼い子どもにもっともよく見られる疾患」とみなされていたらしい1。
感染症より、一般的とされていたとは驚きである。
時代背景としては、第二次世界大戦の頃。
戦時下において、成長期の子どもたちは、その栄養法に大打撃を受けたかもしれない。
WHOも、「乳幼児の栄養法」の第6章で、「緊急時は、特に、乳幼児の栄養法が脆弱(ぜいじゃく)になりやすい」との旨述べている。
子どもの健康と成長のためには、十分な物資だけでなく、お世話をする大人たちに、精神的・経済的余裕があることも不可欠なのである。
1950年代
くる病は、子どもの栄養失調が原因と考えられていた。
実際に骨格に症状がある患者を集め、食生活を観察した論文が多い。
時代を問わず、くる病患者の食生活は、穀物中心(おかゆや雑穀など)だったとする調査結果が多い。
くる病患者たちは乳製品やタンパク源をほとんどあるいは全く摂取しておらず、くる病の他にも、他の疾患を併発していることも少なくなかった。
1960年代
イギリスで暮らす移民に、くる病患者が観察されたようで、数多くの論文になっている。
※今では、「ヨーロッパのように高緯度の地域に暮らす黒い肌の人種は、くる病のリスクが高い」という説も、常識となっている。
が、もとの研究では、人種や緯度に注目する前に、「移民」「低栄養の食文化」という背景があった。
信じられていることと違って、人種(肌の色)や緯度と、くる病の相関を示す一貫したデータは見つからない。
1970年代
引き続き、イギリスあるいはそれ以外の国で暮らす移民の、くる病に関する論文がさかんに出ている。
この頃になると、画期的な分析装置であるHPLC(まだ一般的には使えず、パフォーマンスも今より低かった)が登場する。
その結果、それまで不可能だった「ビタミンDの血中濃度」を観察した論文が登場する。
続いての話は…
数多くの論文を見てみると、くる病が蔓延するのは、時代を問わず、社会情勢や、個人の栄養状態がトリガーになっている印象を受けました。
戦後は、先進国のくる病は減ったようです。
では、その後「再びくる病が増えている」のはどういうことなのでしょうか?
なぜ母乳に注目するようになったのでしょうか?
次の記事では、その後の時代を取り上げます。
くる病とビタミンDのシリーズはこちらから読めます。
主な参考文献
1 Harrison, Harold E. “A tribute to the first lady of public health (Martha M. Eliot). V. The disappearance of rickets.” American Journal of Public Health and the Nations Health 56.5 (1966): 734-737.
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